2013年御翼1月号その4a

勇ましい高尚なる生涯

  

 キリストの救いにあずかって神により愛され、赦されていることに気づけば、人にとって悪を行うことは苦痛になり、進んで周りの人を愛し、赦すようになる。そんなクリスチャンたちがこの世に遺せる最大の遺物は何であろうか。
 内村鑑三は、「後世への最大遺物」(明治三十年)との演説の中で、人が遺すことのできる最も偉大なことは何であるかを論じている。金は用い方によっては大変利益があるが、用い方が悪いと害がある。事業も同様、最大の遺物と言うことはできない。特に、大金を遺すことや、大事業を成し遂げることは、誰にでも真似する事のできないことである。そして、誰にでもできることでなければ、「最大の遺物」とは呼べない、と内村は主張する。
 人間が後世に遺す事のできる最大のものは、「勇ましい高尚な生涯」だと内村は言う。高尚なる勇ましい生涯とは、世の中は決して悪魔が支配する世の中ではなく、神の世の中であると信じる生き方である。失望の世の中ではなく、望みの世の中であり、悲しみの世の中ではなく、喜びの世の中であると信じる生き方なのだ。
 酒も煙草もやらず、聖書を繰り返し読み、人のために祈り、施しをし、ゴスペルを歌うことが大好きだったエルヴィス・プレスリーだが、日本での彼のイメージは残念ながら非常に低い。それは、彼についてスキャンダラスなことが書かれた出版物が多いからである。二歳半から母とペンテコステ派の教会に通い、九歳で洗礼を受けていたエルヴィスは、派手なイメージとは異なり、真面目で几帳面で、神の御心の実現を望む、謙虚な男であったという。自分が短所もある普通の人間であることを自覚していた彼は、過剰に称賛されることを快く思っていなかった。ノートルダム大学でのショーの最中、女子大生たちが『Elvis, you're the King!(エルヴィス、あなたが王だ!)』と書かれた横断幕を広げた。するとプレスリーは、『No, Jesus Christ is the King.(いや、イエス・キリストこそ王だ。)』と優しくたしなめたという。しかし、この出来事は記事に書かれることはなかった。エルヴィスのマネージャーが、イエス・キリストのことなど話すな、などと口うるさく言っていたからである。彼の印税を半分ももっていくマネージャーは、やがてエルヴィスの側についてくれるスタッフを、ことごとく解雇していく。七十年代に入ると、エルヴィスは年間百五十回近くの過密スケジュールでライヴ活動を展開する。そして、ストレスから逃れるために医師が処方した睡眠薬や鎮痛剤の飲み方を誤り、一九七七年、四十二歳で天に召された。
 ところが、最近になって彼のクリスチャンとしての実像が明かされるようになった。なぜであろう。生前、エルヴィスはステージ以外の事は人任せであった。肖像権の管理はずさんだったため、金儲けの道具とされ、エルヴィスのイメージを損なうものであっても簡単に商品化できていたのだ。死去後まもなくして遺族らが膨大なエルヴィスの物的財産を管理する組織を結成し、肖像権も管理しようと訴訟を起こした(当時、亡くなった人々の肖像権の取り扱いは帰属等がはっきりしていなかった)。遺族らは勝訴し、肖像権を手に入れ、以後今日までしっかりと管理されている。肖像権が管理できるようになって、「エルヴィス・プレスリー」という名を使い、彼についての正しい情報が世界に発信されている。その中には、側近や友人、家族らが語るエルヴィスの人物像に焦点をあてた物や、エルヴィスのゴスペルに対する思いを映像化した物もある。彼の急死は悲しいものであったが、それから30年以上たって、エルヴィスの真の姿を知ることができるようになったのだ。
 キリストを愛し、福音を歌うことを何よりも幸せと感じていたエルヴィスは、この世から「迫害」されていた。しかし、ゴスペルを歌い続けたその人生は、この世は決して悪魔が支配する世の中ではなく、神が支配されると信じる生き方である。失望の世の中ではなく、望みの世の中であり、悲しみの世の中ではなく、喜びの世の中であると信じた生き方だったのだ。

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